時を超えてまた君に恋をした

何がきっかけで好きになったか。急にそれを記したくなった。

これはただの私の備忘録。

 

                   時を超えてまた君に恋をした

           

2015年、高校1年生の時。自分用のスマートフォンを親から買い与えてもらったおかげで私はネットサーフィンの海へ溺れる日々を送っていた。その時間の大半を占めていたのがyoutube で動画を見る事。私の推しを見つけたのもダラダラ動画を漁っていた時だった。どんな動画から関連づけられておすすめとして出てきたのか、もう覚えてやしないけれど、ある一本の動画から運命的な出会いを果たすことになる。

 

 再生を押すとまず映ったのはオレンジ色のシャツの羽織を着た端正な顔の男の子の横顔。あまりにも整った美少年でまるで漫画から飛び出してきたのかと思ったくらいだ。

曲のイントロと共に少年のアップから引きの画になり、堂々とセンターに立つ少年の斜め後ろの方にどうやら見覚えのある、黒いパンツとジャケットの衣装を着た青年の姿が見えた。左下には曲名のテロップ。世代ではないながらも私でも知っている程の有名で懐かしい曲。

 

オレンジ色の衣装を着た少年がその歌の出だしを歌いだした瞬間、私はあまりの衝撃に言葉を失った。画面から目が離せなくなり、イヤフォンを通じて耳に聞こえてくる歌声の、その少年のあまりにも綺麗なソプラノボイスに、たったワンフレーズ聞いただけなのに魅了されてしまった。

 

こんなにも伸びやかで真っすぐで綺麗な少年の歌声に出会ったのは初めてだった。といってもそれ以前からショタのソプラノボイスなんて聞こうともしなかったし、出会ったこともなかったのだけれど。だからこの一本の動画の画面の向こう側の少年の歌声を聞いた時に瞬間的に本能で「この歌声、好きだ!」と思ったことは、もしかして..私気付いていないだけでショタコンだったの...?と戸惑いを覚える程の衝撃的な出会いであった。(ちなみに今でも他のショタのソプラノボイスには反応しないので、この子が私にとって特別なのだ!)

歌声だけではなかった。画面の向こうにいる君はおそらく小学生5.6年生か中学生だろうか、なのにそんな幼さで隣の青年に引けを取らせないくらいに堂々とセンターに立っている姿。リズムを取りながら歌っている途中で時折零れる自然でどこか余裕のある笑顔。ステージに立つその子の姿は何をとっても完璧だった。

魅力的で、とても眩しい。

もし私が彼と同じ学校に通い、小学生時代を過ごしていたら完全に恋に落ちていただろう。

正直、この動画を見ようと思ったのは彼とハモリをしている黒ジャケットを着た青年、生田斗真さん、が歌っている!?という事に興味を惹かれて(それまで生田斗真さんはイケパラの中津というイメージでしかなかったため、歌うという姿がとても新鮮に見えた)見ようと思ったのだが、いざ見始めたらそんな生田斗真さんの隣で歌うずっと背のちっちゃくてでもセンターで、淡い黄緑色の照明をバックに堂々と歌う少年の姿に心奪われたのであった。

 

これが、薮宏太さんとの出会いであった。

 

この動画はそれから毎日狂ったかのように繰り返し見て聞いていたと思う。本当に虜になっていた。この時、同時にハロプロにもはまりたてだったために、自分よりも年下なのに堂々とパフォーマンスをしているという人に対して尊敬やら憧れを持ち始めていた。しかし、私がずっと見ていた動画はもちろん、いくら生田斗真さんのお顔が変わっていないからって2015年のものではないと分かっていた。この動画は2003年。この少年はどんな素敵に男性になっているのだろうか。それを知ることが出来るのだろうか、それが気がかりであった。もし現在芸能活動をしていなかったらこの過去の動画だけをずっと見続ける亡霊になってしまうから。(当時とっても恥ずかしい事にHey!Say!JUMPという存在自体は知っていたが、何人グループで誰がいるかなんて山田くんがいるという事ぐらいしかしらなかったのだ)

しかし、コメント欄で、見つけた。この少年は薮宏太さん、今現在はHey!Say!JUMPとして活動しているという事。それを見た時、とっても嬉しかったことを覚えている。私が魅了された少年から一気に12年後の彼の姿が見れて、歌声が聞けるんだと。私が好きだな~と思ったのは薮くんの歌ってる姿がとっても生き生きしていて楽しそうな姿だったので、彼が2003年からずっとマイクを持っていて2015年でもアイドルとして歌を生業としていること、それがとっても嬉しかった。

 

そこからは私にとっては空白の12年間を埋めるため、とにかくネットや動画サイトを駆使しまくって"薮宏太”を追っていた。薮くんの2015年の姿を見た時は、あれ?このお兄さんどこかで見たような...となっていて、実際youtubeで流れてきていた少年倶楽部のjumpが司会だった時に、薮君が司会をやっていた姿を目にしていたため、あの時はなんだかこの司会の人はザ・ジャニーズというよりはすごく近所に住んでいる初恋のお兄ちゃん..みたいな親しみやすさが良いなと思っていたため、そんな親しみやすいと勝手に思っていたお兄さんが、実は小さい頃からマイクを握っていたエリートジュニアな一面を持っていたなんて.....一見普通そうに見える男の子がステージの上ではバリバリアイドルジャニーズで決めてくるというギャップはズルいじゃないか(;_;)(:_;)

そして何より、声変り後から成人男性に成長した薮くんの歌声。ソロパート集というのを聞いてみたのだが、

もちろん、当たり前だけど声変りをしているから声が低くなっている薮くんの歌声は最初はほう、これが、、となっていたが、歌い方の癖だったり伸ばす後のフレーズの切り方とか、声自体にも(当たり前ではあるが)ああ!薮君の声だ!と面影がちゃんとあることに大変感動したことを覚えている。

そして何より、大人になった薮くんの歌声は中毒性があった。低音が心地良いし、何より倍音がすごく豊かすぎる、、!一度聴いたらもう、そこから耳が薮君の歌声を忘れられなくなってしまった。ソロパート集は次に何の曲の部分が来るかまで完全に暗記するほど聞きこすったし、Hey!Say!JUMPの曲を聞いた時はユニゾンや全員のサビの歌唱でも薮君の歌声しか拾えない耳となってしまった。

まただ。また薮くんに魅了されてしまった。しかもこの短期間で13歳の薮君から25歳までの薮君を一気に知れるなんて、タイムマシーンも持ってないのになんて贅沢なんだろう。

 

 

また、その薮くんを知る過程の中で、とても衝撃的で、とても運命的だと感じたことが1つあった。

薮くんはジュニア時代、Ya-Ya-Yahというグループに所属していて、そのグループは

「世界が一つになるまで」を歌っていたグループであり、「勇気100%」でCDデビューをしていたのであった。

 

この事実を知った時、私はまた衝撃のあまりに言葉を失ってしまった。

私が直感的に薮君の歌声が好きだ!と感じた、生田斗真さんと「世界中の誰よりも」を歌っている動画に私が出会うよりもずっと前に、私は薮君の歌声を聞いていたのであった。

 

忍たま乱太郎、幼稚園の頃からかな?小学生あたりまで夕方18時以降、毎週って訳ではなかったけど、学校の宿題も終わって夕飯の手伝いが始まるか始まらないかの瀬戸際、ぼーっとしてる時にチャンネルを回してなんとなーく見てたことが多かった。

だから当然、オープニングのYa-Ya-yah版の勇気100%をずっと聞いていたし、エンディングの世界が一つになるまでも耳なじみがあった。

特に勇気100%の方は、実際調べてみたところ、Ya-Ya-yah版が使われていたのは2002年~2008年の間。まずjumpはたった4か月、セクゾは4年という中でYa-Ya-yahは最長の6年間という長い期間使用されていたという事もとても驚きだったのだが、そりゃ私は薮君の歌声が好きだ、と納得させられた。2002年から6年間もの間、私が3歳から9歳までの間。ちょうど幼稚園から小学校3年生までの間という、忍たまを見ることが多かった期間にドンピシャに当てはまっていた。多分4歳頃らへんから無意識に聞いていたことによっておのずと薮君の歌声の英才教育を受けているもの、そりゃあいくつに出会っても、大人になっても薮君の歌声が本能で好きなはずさ、、、好きだ、、、やうくん、、、

 

一方エンディングで使われていた世界が一つになるまでの方は2002年~2003年と短く、私もあんまり記憶にない。

しかし、、2010年の小学校5年生でこの歌と再会したんだ。小学校の合唱曲を発表する会かなんかで手話付きでこの「世界が一つになるまで」を披露することになる。だからこの曲を手話付きで披露するための練習として、、ちょっと記憶があいまいだけれど見た気がするんだ,,,!少クラで薮君があのクリスタルボイスをアカペラで歌いながら他のYa-Ya-yahメンが手話をやってくれて会場みんなで手話覚えるやつ、、、!あれを...手話を覚える教材としてみた記憶がある....。小学校5年生少し早く思春期に入る中で、学校でジャニーズを見る、という事に対してなんだかくすぐったくて理由もなく恥ずかしかった気持ちがあったような...なかったような...。今現在その手話の動画を見るとなんか見た事あるから多分使用していたんだと思われる。( ゚д゚)ハッ!この時も薮くんの隣には司会の生田斗真さんが,,,,!!

 

いや、わたしめちゃくちゃ薮くんの英才教育受けてる....!!!!!!

薮くんの歌声を4歳頃から無意識にずっと聞いて、小学校5年生で薮くんから手話を教わるって,,,,,

薮担になるための英才教育すぎるって(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)

 

こんなに長々と書いてきましたが、

結論:私は幼少期から薮くんの英才教育を受けているため、過去の動画から少年時代の薮くんに出会って惹かれ、そこから大人になった薮くんをまた好きになるということは運命であり必然であったということです!!!(ドヤァ

 

次はHey!Say!JUMPでの活動にてどんなきっかけで再度薮くんに魅了されたのかを書きたいなあ。